大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(オ)1215号 判決

上告人

永田恒子

上告人

永田守

右両名訴訟代理人

村上直

被上告人

小杉武雄

右訴訟代理人

馬場秀郎

主文

原判決中、上告人永田恒子に関する部分を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

原判決のその余の部分に対する上告を棄却する。

前項の部分に関する上告費用は上告人永田守の負担とする。

理由

上告代理人村上直の上告理由第一点について。

原判決によると、本件建物(第一審判決添付目録の建物。以下同じ。)は、上告人永田守が、賃貸人に無断で、本件土地(同目録の土地。以下同じ。)の賃借権を譲り受けたのち、右地上に建築したものであることが認められる。

そして、右のように、土地賃借権が無断譲渡されたのちに譲受人によつて賃借地上に建築された建物は、借地法一〇条の買取請求権の対象とならないと解すべきであるから、本件建物につき、右上告人に買取請求権がないとした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は採用しがたい。

同第二点について。

建物の所有権を有しない者は、たとえ、所有者との合意により、建物につき自己のための所有権保存登記をしていたとしても、建物を収去する権能を有しないから、建物の敷地所有者の所有権に基づく請求に対し、建物収去義務を負うものではないと解すべきである。

しかるに、原判決は、上告人永田恒子が、本件建物の所有者でないことを認めながら、所有者との合意により、自己のため所有権保存登記をしていることを理由に、同上告人に建物収去義務を認め、同人に対し建物収去土地明渡しを求める被上告人の本訴請求を認容したのである。

してみると、原判決には、前述の法理について判断の誤りがあり、その違法は、判決の結論に影響を及ぼすこと明らかである。論旨は理由がある。

以上のとおりであるから、原判決中、上告人永田恒子に関する部分は、破棄を免れず、さらに審理を尽させるため、右部分につき本件を原審に差戻すのを相当とし、その余の部分については、上告を棄却すべきである。

よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条一項、九五条、八九条を適用して、裁判官大隅健一郎の意見があるほか裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官大隅健一郎の意見は次のとおりである。

私は、判決の結論には賛成であるが、その理由には同調しがたい点があるので、これについて意見を述べる。

原審の確定するところによれば、被上告人ほか四名の共有に属する本件土地上に上告人恒子名義の本件建物が存在し、上告人らが共同使用して右土地を占有しているところ、当該建物は上告人ら相談のうえ建築したものであり、登記簿上の所有名義を上告人恒子にしたのも同人らが話合いのうえでしたものであるが、右建物は実質上は上告人守の所有で恒子は名義上の所有者にすぎず、このことは被上告人も認めるところである、というのである。そして、被上告人は、上告人らは正当の権限なく不法に本件土地を占拠するものであるとして、共有権に基づき、上告人恒子に対して右建物の収去および土地の明渡、上告人守に対して右建物からの退去および土地の明渡を求めているのである。

ところで、上告人らによる本件土地の占有が正当な権限に基づかない不法なものであるとしても、被上告人が、実質上上告人守の所有に属する本件建物につき、単なる名義上の所有者にすぎない上告人恒子に対してその収去を求めることができるかどうかは、問題とならざるをえない。この点につき原判決は、その法律的な理由ずけは明らかでないが、「苟も建物の実質上の所有者の意を受け登記簿上の所有名義を自己とした以上、その所有権が自己にないことを理由としてその収去義務を免れることはできないものと解すべきであるから、同控訴人(恒子)は本件土地明渡の方法として本件建物を収去する義務を負つているものというべきである。」と判示している。これに対し、本判決の多数意見は、「建物の所有権を有しない者は、たとえ、所有者との合意により、建物につき自己のための所有権保存登記をしていたとしても、建物を収去する権能を有しないから、建物の敷地所有者の所有権に基づく請求に対し、建物収去義務を負うものではないと解すべきである。」として、原判決と反対の見解を示している。すなわち、多数意見は上告人恒子の建物の収去義務を否定し、被上告人の請求を斥けているのであるが、その理由はもつぱら恒子が本件建物の所有者でなく、これを収去する権能を有しないことに求められている。私は、本件の事実関係のもとにおいては、この多数意見の結論を是認するものであるが、その理由はこれと異なつている。

権限なく他人の所有地上に建物を所有して不法にその土地を占拠する者に対し、所有権に基づき、土地の明渡の請求をするには、当該建物の登記簿上のの所有者ではなく、その建物の現実の所有者を相手方としてなすべきものと解するのが、従来の判例であつて(昭和一三年一二月二日大審院判決・民集一七巻二二号二二六九頁、最高裁判所昭和三一年(オ)一一九号同三五年六月一七日第二小法廷判決・民集一四巻八号一三九六頁)、上述の多数意見もこれを踏襲したものにほかならない。右の昭和三五年の当裁判所第二小法廷判決は、他人の所有地上に家屋を所有し、何らの権限なく右土地を占拠していた者が、その家屋を未登記のまま第三者に譲渡し、現在は家屋の所有者でないことになつている場合に、土地所有者が登記名義人である右譲渡人に対して、土地所有権に基づき、当該家屋の収去、土地明渡を求めた事案に関するが、この場合においても、公示の原則を尊重する立場から、移転登記末了の家屋の譲渡人は所有権の喪失をもつて第三者に対抗することはできなく、その所有権の変動については敷地の所有者も民法一七七条にいわゆる第三者にあたるものと解し、したがつて、その敷地の所有者は移転登記末了の家屋の譲渡人に対して建物収去土地明渡の請求権を有するとする見解(小谷勝重、河村大助両裁判官の少数意見)が妥当ではないかと考える。

本件は、右のような建物の所有権が譲渡された場合ではなくして、本件建物の実質上の所有者である上告人守がその妻の上告人恒子と話合いのうえ右建物につき恒子名義で保存登記をした場合に関し、かつ、上告人守と恒子との間に右建物に関して何らかの法律行為がなされた事実は、原審の認定しないところである。したがつて、ここでは民法一七七条適用の余地はない。しかしながら、「未登記の建物の所有者甲が、乙にその所有権を移転する意思がないのに、乙の承諾を得て、右建物について乙名義の所有権保存登記を経由したときは、民法第九四条第二項を類推適用して、甲は、乙が右建物の所有権を取得しなかつたことをもつて、善意の第三者に対抗することができないものと解すべき」ことは、当裁判所の判例とするところである(昭和三八年(オ)第一五七号同四一年三月一八日第二小法廷判決・民集二〇巻三号四五一頁)。これによれば、乙もまた、自己が右建物の所有権を取得しなかつたことをもつて、善意の第三者に対抗しえないものと解すべきことはいうまでもない。この法理を本件に適用すれば、被上告人が善意であるかぎり、上告人恒子は本件建物の所有権が自己にない旨を主張して、その収去義務を免れることはできないものといわなければならない。もつとも、右の法理は、本来、登記に信頼して建物につき取引関係に立つた第三者者を保護する見地から認められたものであるところ、本件被上告人は本件建物の登記に信頼してこれにつき取引関係に立つたわけではなく、本件建物の権利関係を争つているのでもないから、右にいわゆる第三者にはあたらないとして、本件にはこの法理は適用されえないとする見解があるかも知れない。しかし、民法九四条の規定をかように限定して解釈することは適用でないと思う。

上述のようにして、もし本件被上告人が善意であるならば、民法九四条の類推適用により、原判決は、結局、結論において正当というべきであるが、さきに見たとおり、原審の認定によれば、被上告人は、本件建物の登記名義人は上告人恒子であるけれども、その実質上の所有者は上告人守であることを認みめているというのであるから、被上告人みずから権利者でないことを認める上告人恒子に対してその建物の収去を求める本訴請求は、排斥を免れないといわなければならない。それゆえ、被上告人の請求を認容した原判決も破棄を免れないが、その理由は叙上の点に求められるべきであつて、これを単純に上告人恒子が本件建物を収去する権能を有しない点に求める多数意見は首肯しがたいというほかない。多数意見のような見解をとるならば、本件のごとき土地明渡請求事件においては、原告たる土地所有者は、登記に信頼することができず、建物の実質上の権利者を探求しその者を被告として訴を提起することを強いられるのみならず、相手方がたやすく建物所有権の移転を主張して明渡請求を困難ならしめる危険にさらされることとなる不都合を思うべきである。(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一)(岩田誠は退官につき署名押印することができない)

上告代理人村上直の上告理由

第一点〈略〉

第二点 原判決は法律上の解釈を誤り審理不尽理由不備の違法がある。

(一) 原判決は、その理由五項において、「本件建物は実質上、上告人守の所有で同恒子は名義上の所有者に過ぎないことは、被上告人の認めるところである。

けれども、苟も建物の実質上の所有者の意と受け登記簿上の所有名義を自己とした以上、その所有権が自己にないことを理由としてその収去義務を免れることはできない」と判示している。

右の考え方は一見もつとものようであるが、法律的に何故そうなるのか疑問がある。

建物の実質的所有者でない者が、その所有名義だけを貸しているような場合に法律的にどのように解釈するか問題があり、通常信託譲渡か通謀虚偽表示と解するのが多いようである。

信託行為に基づくときは信託法第四条により受託者は財産の管理処分をなし得るがその内容は信託行為の定めるところに依るわけで、本件の場合、当然に、受託建物の取毀収去の権能を有するものではない。

又、虚偽表示と解しても、建物所有権の保存又は、移転行為は、当事者間では無効であるが、第三者には対抗できない(民法九四条)けれども、本件は被上告人自ら、登記簿上所有名義人が真実の所有者でないことを知つているので、善意の第三者には該当しない。

以上の通り、苟も、建物の実質上の所有者の意を受けて登記簿上の所有名義を自己としたと言う理由で何故に、建物敷地である土地の不法占有者となり或いは、建物の真実の所有者の意志に拘りなく、建物の収去義務を負担するのか、甚だ、あいまいである。

(二) 本件の場合のように、妻は通常建物について夫の占有を補助しているに過ぎず独立して占有権を有せず、夫(上告人守)の依頼により単に登記簿上の所有名義人になつていたのに過ぎないので建物の処分権を有しないことは、社会通念に属するものである。

我が国の判例は、大審院以来一貫して土地所有権に基づく物上請求における相手方は、建物の登記で法上の所有名義如何に拘らず、建物の真実の所有者であると解釈している(大判大正六年十月二十二日言渡、同昭和十三年十二月二日言渡判決十七巻二二六九頁、最高裁昭和三十五年六月十七日小判決民集十四巻八号一三九六頁)

その趣旨とするところは、土地の不法占有者は、現実にその建物を所有しているものであつて、登記簿上の所有者で真実に所有権を有していない場合には、その名義人が不測の損害(地代相当損害金等)を蒙ることになり、又実際は自分の所有でない他人の所有物を収去取毀す結果となるからである。

従つて、そのような土地の不法占有者は、民法第一七七条の第三者に対する対抗要件たる登記とは関係ないのであつて、登記名義人と雖も、実際の所有権を有しないときは、建物の収去を拒絶し得るのであつて、原判決が実際の所有者の意を受けた建物登記名義人はその収去を拒み得ないと解したのは、従来の判例と見解を異にするものである。

もつとも、前掲判例の事案はいずれも、登記簿上の所有名義人が、実際には所有権を他に譲渡してしまつて所有権を喪失したが、移転登記手続未済の儘となつていたような事例で、本件事案とは少し趣を異にするが、その理由とする趣旨は同じであるから、茲に之を援用するものである。

即ち、本件については、前述の通り、上告人恒子(妻)に登記簿上の所有名義人であるが、実際の所有者でないので本件土地につき独立した占有権を有せず、本件土地の所有権を侵害しているものではない。

それにも拘らず、上告人守(夫)の意を受けていると言う理由のみで、土地の不法占有者とみなされ、建物の処分権限を有していないにも拘らず、収去義務を負わされることは前掲判決例の趣旨とも異り、納得できないところである。

よつて、原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令解釈の違反があり、審理不尽、理由不備の違法ありと謂うべきである。

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